皆さんこんにちは、バーシエールの岡本です。
今年も残り僅かとなりました。相も変わらず
感染症に振り回された一年ではありましたが、
少しずつ前には進めているようにも思えます。
さて、今回は今年一年の締めくくりの幕開けにと、
久方ぶりに、ベートーヴェン交響曲第9番。年末
の風物詩である〝第九〟を拝聴して参りました
ので、その様子と、年末年始の営業日について
お話しさせて頂きます。
今回の舞台はこちら。池袋西口の東京芸術劇場。
演奏は昨今の池袋ではお馴染みですね。パシフィ
ックフィルハーモニア東京。指揮は飯森範親さん
です。先のサントリーホールも然り、東京芸術
劇場もコロナ禍になってからは初の来場となりま
した。随分とご無沙汰しています。毎日目の前を
通ってはいるのですけれどね 笑 今回はちょう
ど良く〝第九〟のチケットが手に入りましたので
楽しみにしておりました。日時の都合も申し分な
く、地元で堪能することが出来ましたのでとても
満足しています。
会場入りして奥に進むとバーラウンジを発見。
気付けにビールを一杯だけ注文し、天気も良かっ
たのでテラスにて、見慣れた池袋の風景を眺め
ながら喉を潤します。
席に付くと間も無くチューニングが終わり、指揮
者の入場後、速やかにワーグナーの牧歌が流れ
ました。これはわたくし失念しておりまして、
演目は元々2曲あったようです。こちらとしまし
ては良いウォーミングアップとなりました。オケ
の雰囲気も伝わってきますしね。牧歌の演奏後
休憩に入り、舞台の空気も温まったところで
今度は声楽の面々も加わり、〝第九〟の第一楽章
に入ります。私好きなんですよねぇ。弦楽器のフ
ェードインからドラマティックに始まるこの楽章
の冒頭。グッと引き込まれます。第二楽章のスケ
ルツォは毎度のことながら錯覚を覚える、第7
交響曲の三楽章と酷似する速いテンポの曲。私は
どこまでいっても素人ですから、しばらく聴いて
いなかったりすると聴き分けが出来ないのですが、
ティンパニの4連? 5連? の連打がこちらに
は組み込まれているので、そこで錯覚から逃れ
ます 笑 この連打はティンパニの見せ場ですね。
パーカッシブならではの腹に響く低音の連打は
とても強く印象に残ります。そして曲は打って
変わって第三楽章へ。世界の調和を表している
などと評されていることが多い、この楽章は非常
にゆったりとしたテンポ。大抵の人はこの第三
楽章が一番の舟漕ぎポイントになるでしょうね
笑 ドラマティックな第一楽章に躍動感溢れる
第二楽章。少し休憩にしては旋律が美し過ぎて
ウトウトするのも仕方がないのですが、中盤以降、
〝第九〟のシンボルである第四楽章への架け橋
となる主題が用意されておりますので、ここは
一つ我慢(失礼)して聴いて頂きたい 笑 そう
いえば、この日隣の席にいらした初老のご夫婦ら
しき方々の旦那さんが、ワーグナーから徹頭
徹尾。居眠りを決め込んでおられました。たまに
起きたかと思えば、ハッと気が付いたように、
持参した双眼鏡を覗き込んでいます。自分はきち
んと聴いているという奥様へのアピールだった
のでしょうか 笑 まあ、いい音楽ほど眠くなり
ますからね。わかりますが、眠たい人を観察する
のは楽しいものです。授業中にうたた寝してし
まい、それを何とか誤魔化そうとしている生徒
を眺めているようで面白かった 笑 さて、曲は
第四楽章お馴染みの力強い立ち上がり。一般的
にはこのフレーズが一番耳にする頻度が高いので
はないでしょうか。第四楽章はやはり、年末の
定番として歓喜の歌が有名ですが、序盤の声楽
なしのフレーズは年末以外でも様々なメディア
で扱われていますので、耳に馴染んでいるはず
です。
曲は盛大に主題が演奏され、一斉休符のあと、
歓喜の歌の独唱一番手であるバリトンの歌声が、
静まり返った会場内に響き渡ります。この場面は
何度聴いても緊張感がありますね。今ではEUの
国歌にまでなっている歓喜の歌ですが、最初から
交響曲の一部として作られたわけではなく、元々
がドイツの詩人、フリードリッヒ・フォン・シラ
ーによって、ドイツの学生向けに書かれた自由讃
歌という詩なのです。この詩に感銘を受けたベート
ーヴェンは、それまでの音楽界ではタブーとされ
ていた、声楽入りの交響曲を作り、世間を騒がせ
ます。声楽はオペラで演じ、聴くもの。それが
当時の常識だったのです。では、何故、彼は禁忌
を犯してまで交響曲に歌を入れたのでしょう。
ベートーヴェンが後天的な聾唖者(ろうあしゃ)
であったことは有名でしょうが、世界で初めての
フリーランスミュージシャンであったことは
あまり知られていないと思います。王族や貴族の
お抱えアーティストとして生計を立てていくのが
当たり前であった時代でフリーランスの道を歩む
こと自体異端なのですが、やはりこれには持病の
難聴が大きく関わっていました。難聴の症状が
進むにつれて、その絶望感から精神疾患を招く
事態となり、孤立を余儀なくされたのです。
しかし、皮肉なことに症状が進んでも作る楽曲
のクオリティーは衰退しません。交響曲としては
遺作となった9番もその中の一つ。交響曲は10
番を途中まで書いていたようなので、自身の健康
とは裏腹に、その才能の泉はまだまだ潤沢であっ
たといえます。先述した通り、歓喜の歌は
自由讃歌という詩が元になっています。この
自由讃歌も実はかたちを変えていて、フランス
革命後のヨーロッパでは、〝自由〟だとか、
〝平等〟というワード自体がはばかられる世の中
でしたから、政治的な圧力を受けてまず、曲名を
歓喜に寄すに変更。それとこの詩はそもそも
封建制度から自由を手に入れようという気概の
詩でしたから、そのようなニュアンスを持った
文言もすべて添削、推敲されたようです。この
ように、歓喜の歌のソースである歓喜に寄す
(自由讃歌)は元々自由と平等を謳った詩で
あったことがわかると、ベートーヴェンが何故
無理をしてまで9番に歌を入れたのかがわかる
ような気がします。歓喜の歌に使われている歓喜
とは、ドイツ語でFreude(フロイデ)。これを
同じくドイツ語でFreiheit(フライハイト、自由)
に戻してみると、ベートーヴェンが9番で本当に
伝えたかったのは歓喜ではなく、自由への渇望
だったのではないのかと思えてきます。もちろん、
自由讃歌と同様に政治の圧力が掛かるのは目に
みえていたでしょうから、歓喜の歌は歓喜に寄す
をモチーフに構成されています。そして彼が
欲した自由とは、普遍的な自由なのか、あるいは
自身の苦悩からの自由ということもあるでしょう
。難聴が重くなり始めた中期から晩年まで、
ベートーヴェンの作品は、苦脳の先の歓喜を
想起させる作品が目立つようです。その歓喜が
ひと筋の光明となって、観る者、聴く者を導い
てゆくのでしょう。9番を完成させた頃には既に
全聾(ぜんろう)であったベートーヴェン。彼が
最後に聞いた音楽は一体どんな音楽だったのでし
ょうか。それはもしかすると、18世紀という
激動のヨーロッパを生きた人々の自由讃歌だった
のかもしれません──。
曲は大合唱の真っ只中。可愛らしいマーチが流れ
たあと、テノールの勇ましい独唱。次いで、歓喜
の歌といえば、難易度の高い合唱の二重フーガ
ですね。皆さん口角を上げて朗らかに、しっかり
と歌い上げておりました。素晴らしい出来栄え
です。ソプラノ独唱最後の最高音は、私好みの
シャウト系。血管が切れそうです 笑 そして
ラストは興奮状態そのままに、らんちき騒ぎが
スタート 笑 トップギアのまま、ドライブ感
満載でひたすらトニックコードがジャンジャン
回ります。こちらもいつも通り、ヘッドバンキ
ングが止まりません 笑 隣の居眠り紳士もさす
がに起きています 笑 拍手喝采の中、年末の
〝第九〟らしく華やかに大団円を迎えると、
指揮者の飯森範親さんからご挨拶がありました。
まず、この日の演奏は急遽決まった特別公演で
あったにも関わらず、多くの方々に集まって
頂いたというお礼と、パシフィックフィルハー
ニア東京を今後とも宜しくという旨の挨拶でし
た。実はこちらの楽団は今年2年目の若い楽団
なのです。楽団員の方々もお若いメンバーが
目立ちました。とてもフレッシュで勢いの
あるオーケストラですよ。池袋での演奏も多い
ことですし、皆さんも是非一度お試しになって
みてはいかがでしょうか。
さて、長くなりましたが、年末年始の営業日の
お知らせです。
2022年は12月30日まで営業。
12月25日(日曜日)は営業致します。
2023年は1月5日(木曜日)からの営業と
なります。営業時間は変わらず、19時〜3時
です。あと半月ほどで今年も終わりますが、是非
また皆さんの元気なお顔を拝見させてください。
では、また、、
それと、おまけです 笑
絶賛公開中です。災害三部作? の三作目らしい
です。新海誠さん。吹っ切れたようですね。
最高傑作かと思います。ただ、問題作ではあると
思いますので、賛否は顕著に分かれますが、
素晴らしい作品です。皆さんも是非ご覧になって
ください。私は二度足を運びました 笑 戦争。
事故や災害。人災も含めて、時が来れば、向き合
うことも必要です。忘れた方がいいことも多い
ですが、警鐘を鳴らし続ける為にも、けっして
風化させてはなりません。それを念頭において
ご覧になってください。